少子高齢化により、介護が必要な高齢者は、今後、一層増大する。にも拘らず、親の介護と仕事を両立させる事が可能な就労条件を実現している企業は殆どない。また、親の介護を優先して退職し、貯金を食潰して親の年金を頼りに介護を続ける人生には、希望がない。国を頼っても、介護老人ホームは高額で、何年も空室待ちの状態であり、介護保険制度は機能不全に陥り、巨額の財政赤字を抱える国には、それを拡充するだけの経済的余裕がない。


この結果、親の介護に疲れた子供が親を殺害する、妻の介護に疲れた夫が妻を殺害する、親族間の介護殺人が頻繁に起きており、多少の情状酌量があるものの殺人罪が適用されている。また、2007年、愛知県で、親族が目を離した隙に認知症の高齢者が線路に入込んで、列車と接触事故を起こし、監督責任を負う親族には、地裁判決により過大な賠償責任が課された。


これは、認知症の高齢者を24時間監視するか、それだけの経済力がなければ、こっそり座敷牢にでも監禁しておけという事だろうか。立法、行政で国民に過大な自己責任を課しておきながら、これに押し潰された国民を司法で処罰するだけであれば、何の問題解決にもなっていない。


介護は、する方も、される方も辛いものだ。子供や配偶者の生活、貯金、将来を犠牲にしてまで、認知症により自己認識を無くしてまで長生きしたいとは思わない、と考えて安楽死を希望する高齢者も少なくないのではないだろうか。


これに対し、本人の意思に反しても生命を尊重し、例えどんな状態になっても、最後まで延命させる事が良い。不条理、理不尽な苦痛であっても、意味、理由、目的が解からなくても、見出せなくても、それを受入れて生きる事が正しい、と言う安楽死への反対意見もある。


しかし、このような抽象的な理想論は、赤の他人による思考停止、現実逃避であり、当事者への具体的、現実的な解決策とはならない。そもそも、出生が本人にとって予測不能、選択不能である以上、生きる事が正しく、死ぬ事が誤りであるという考え方には、何の合理的根拠もない。自分の人生に責任を負えるのは自分だけである為、何の責任も負わない赤の他人が干渉していい問題ではない。自分の生死の正誤を判断する権利があるのは本人だけなのである。


また、このような意見は、完全な相互理解が可能であることを前提とした、単なる思想、価値観の強要に過ぎない。自他は別人である為、他人の経験を見聞して、他人の気持ちを推測、共感する事は出来ても、体感、実体験する事はできない。この為、人間は自分の苦痛に対する限界はあるが、他人の苦痛に対する限界はない。


一般的に、自他が異質(人種、性別、年齢、職業、経歴等)であればある程、推測、共感は困難になる。人間同士の近似な相互理解は可能であっても、完全な相互理解は、人間に多様性、異質性がある限り不可能であるからだ。このような人間の多様性、異質性を無視し、自己の理想論の為に他人を犠牲にする権利は誰にもない。


国内外の社会における戦争、飢餓、傷病、自殺等による他人の死亡を放置、黙殺しておきながら、安楽死による他人の死亡にだけ、生命尊重を声高に主張するのは欺瞞ではないだろうか。


現在の日本においては、判例により安楽死の要件が曖昧に示されているだけである。この為、高齢者の依頼に応じて医師が医学的に手助けした場合、嘱託殺人罪、自殺幇助罪に問われる危険が大きい。これでは医師も、安心して手助けできない。


この解決策として、オランダで導入された安楽死制度が参考になるのではないだろうか。オランダでは、1973年、実の親を安楽死させた医師の事件を契機として、安楽死の国民的な議論が始まった。そして、様々な事件を経て1993年に遺体処理法、2002年に安楽死法(要請による生命の終結及び自死の援助審査法)が成立、施行された。担当医師の薬物投与による安楽死の具体的要件は、以下の通りである。

1 認知能力がある患者からの任意、熟慮による要請。

2 緩和困難な耐難い苦痛。

3 その他の合理的な解決策がない。

4 独立した医師によるセカンドオピニオン。

5 第三者委員会(地域審査委員会)の許可。

 

このようなオランダの制度を参考に、安楽死の要件を明確にして法制化し、要件を具備した安楽死を違法性阻却事由(担当医の正当業務行為)に該当するとして免責してもよいのではないだろうか。これにより、財政赤字(医療費、介護費等)を削減でき、本人、親族の精神的負担、肉体的負担、経済的負担も軽減できる。


しかし、これを声高に主張する国会議員は、高齢者の投票率が高い日本では、選挙に勝てないかもしれない。だからと言って、問題を放置して親族に責任を押付け、同様の事件が何度も再発するのを傍観していて良いのだろうか。この問題は、決して他人事ではない。親であり、子であり、配偶者である以上、誰もがいずれは直面せざるを得ない問題なのだから。